フラメンコと私




               フラメンコ教室という場所を初めて訪れたのは、ちょうど15年前。

               一足目のフラメンコシューズを履いてみた時のことを今でも覚えている。

               初めてスペイン語を学んだのもその教室だった。




               卒論に追われ、数
ヵ月後にその教室に行くとドアが閉まっていた。

               誰もいない。張り紙もない。どうやら色々問題があって、急に逃げた?ようだった。

               チケット制でいつ行っても良く、いろいろなレベルの人が一緒に練習し、何時間でも

               自主練ができた。天真爛漫な先生が突然消えることもあったが、そんな自由な雰囲気

               を私は結構気に入っていた。

               ミニライブでのその先生の踊りを見たときの感動が、一番心に残っている。

               クリスティーナ・オヨスやアントニオ・カナーレスの舞台よりも。




               その感動が忘れられなくて2年後くらいに再開。こちらは本格的なスクールだったので、

               嵌められたかのごとく、のめりこんでいった。今思えば、狂っていたとしか思えないが、

               発表会用に10万円の衣装もオーダーした。彼と会うよりレッスンが楽しかった。

               今のように、インターネットなんて誰もしていないし、情報もない。売っている商品の

               数もごく僅か。某フラメンコ雑誌を端から端まで読み返したし、同じビデオを何回も見た。

               駅のプラットフォームでステップを踏んだり、職場のトイレで腕を回したり・・・
               
               生活の全てがフラメンコだった。




               そんな中、スペイン旅行をした。そしてスペインに惚れてしまった。

               講師レベルの人でも、フラメンコ留学する人はごく僅か。まだそんな時代だった。しかも、

               フラメンコ歴数年、素質があるというわけでもない。それでも、スペインに住みたい気持ちが

               日々強くなる。結局1年くらい後に、語学留学を決意した。

               その下見旅行では、ますますスペイン熱にやられて、「もうフラメンコなんてどうでもいいわ」

               と思うほど、スペインという国に惚れ込んでしまった。

               今思うと、一番フラメンコにはまっていたのは、日本の教室で教室のみんなと盛り上がって

               いた時のように思う。スペインに住み始めると、スペイン語を覚えて生きていくのに必死で、

               フラメンコもあまりにも日常すぎて、あそこまでのめりこむこともなかった。




               出産を経て、元来股関節が悪い私はヒールもそう履けないようになってしまったが、ショップ

               を始め、フラメンコに再び携わり、その踊りを愛する方々と触れ合うことで、また熱い気持ち

               が甦ってくることに心から感謝したい。(
2008.10.27




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